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アクセス状況 アクセス状況---------15万7000回 ずぶぬれになり、展示140点、展示完了しました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 北斉菩薩像――1500年前の頃の物です。 ![]() 8月30日北海道マラソンーー萩谷選手応援していました。MGC獲得ならず 残念でした。――――次回期待したい。――――高校時代坊主頭にして頑張った、 ガッツのある萩谷選手だから、大丈夫です。次回MGC獲得楽しみにしています。 快走だーーーーがんばれーーー ![]() 【クラウドファンディング終了のご報告】―――私も、応援しました。よーーー
この度、クラウドファンディングが無事終了し、**3,003,000円(208名の皆さま)**という、本当に想像を超えるご支援をいただくことができました。
最後まで応援し続けてくださった皆さまには感謝の気持ちでいっぱいです。
ご支援はもちろん、一つひとつの応援メッセージにも何度も背中を押していただきました。
このクラウドファンディングを通して、改めて多くの方に支えられ、応援していただいていることを実感しました
皆さまから託していただいた想いを力に変え、MGC、そしてロサンゼルスオリンピック出場・世界で戦うという目標に向かって、これからも全力で挑戦し続けます。
本当にありがとうございました。
これからも萩谷楓をよろしくお願いいたします!!
#マラソン
#ロサンゼルスオリンピック
鎌田英雄 油絵個展 2026年9月8日~15日冨浦枇杷倶楽部ギャラリー 9月13日は、この会で、14時より、プロで活躍の、佐藤樹宏ノトランペットコンサート開催 入場料金3000円、よろしかったら、ぜひ、ご鑑賞ください。 自称・「現代日本の印象派」ーーー枇杷倶楽部での展覧会、油絵作品を、初めて展示販売します。価格を安く設定します。
バラ園にて
横須賀観音崎公園のひなげし畑 楊貴妃像 館山坂井の海岸 館山坂田海岸
入場料金は、当日受付で、お支払いください。
予約は080-6992-1614まだお願いします
鎌田英雄 油絵個展 2026年9月8日~15日枇杷倶楽部ギャラリー
9月13日は、この会場で、14時よりト、プロで活躍の、佐藤樹宏のトランペットコンサート開催
入場料金3000円、よろしかったら、ぜひ、ご鑑賞ください。
田沢湖の木と月 館山神部の夕景
蓼科湖の月夜 昼の蓼科湖 蓼科湖
館山坂井海岸 館山坂田海岸 坂田海岸
「旅の巡りの奈良の都は」---作詞、作曲 鎌田英雄
この歌は、遠い昔修学旅行に行ったときの感動の思い出をもとに作ったものです。
『 旅の巡りの奈良の都は 」のユーチューブ音楽動画です。ーーーーhttps://youtu.be/kO12q9BYZC4
「旅の巡りの、奈良の都は」
2023.7.
21 作詞、作曲、歌、鎌田英雄
1 旅のめぐりの 奈良の都は
古の光 影を落として
参道添いに 出店は並び
絵草子に浮かぶ 源氏絵よ
南大門くぐり抜け 過ぎてゆく
鏡池が映し出す 大仏殿
旅のめぐりの 夢追い坂は
古人の夢追い奈良
2 興福寺の鐘が 時を告げる
誰かが灯す 灯篭灯り
紅染まる 奈良の都は
走馬灯揺れて 篝火に
天灯鬼像に龍灯鬼像 何を思う
阿修羅像の眼差しに 何を問う
旅のめぐりの 夢追い坂は
古人の夢追い奈良
3 東大寺の伽藍 七重の塔は
面影とどめず 相輪残し
泪のあとを 洗うように
静かに暮れゆく 十六夜月よ
二月堂三月堂 過ぎてゆく
闇に浮かび上がる 金剛神像
今は昔の 夢追い坂は
古人の夢追い奈良
※ あーあーあーあー あーあーあー あーあーあーあー あーあーあー
あーあーあーあー あーあーあー
旅のめぐりの春日大社 若草山に扇子売り場
十二神将像 新薬師寺 凛と立つ 伐折羅大将
辿りついた 戒壇院 出家の場所の 四天王
4 東大寺二月堂 お水取りの灯り
古人を 写し出していた
旅のめぐりの 奈良の都は
今はかなわぬ 逢瀬の坂か
旅の巡りの夢追い坂に 彼岸花か
旅の巡りの夢追い坂は 泪坂
旅のめぐりの 夢追い坂は
古人の夢追い奈良
5 旅のめぐりの 奈良の都は
五重の塔の 法隆寺
古の光 斑鳩の里
聖徳太子 偲ばるる
遣隋使 遣唐使 夢乗せて
百済観音像拝み 夢殿へ
旅のめぐりの 夢追い坂は
古人の夢追い奈良
6 旅のめぐりの 西ノ京に
三重の塔の 薬師寺東塔
天武天皇の 薬師三尊像
月光菩薩に 日光菩薩
巍巍蕩蕩(ぎぎとうとう)たり薬師如来、誓願を発し、
広く慈哀を運(めぐら)すと 東塔檫銘
旅のめぐりの 夢追い坂は
古人の夢追い奈良
※ あーあーあーあー あーあーあー あーあーあーあー あーあーあー
7 旅の巡りの、奈良の都は
飛鳥藤原の宮都巡り
飛鳥寺に、キトラ古墳に
高松塚古墳に、石舞台
甦る飛鳥美人図、天文図壁画
旅の巡りの、橘寺に、蘇我馬子
旅のめぐりの 夢追い坂は
古人の夢追い奈良
※ あーあーあーあー あーあーあー あーあーあーあー あーあーあー
大山不動尊のユーチューブ動画です。ーーーーhttps://youtu.be/68SCdAUyHIsよろしかったら見てください。----
楊貴妃像―――七夕、流れ星、北斗七星ーーー
浮世絵美術館 鎌田コレクション 美術品―――NO1
フランス作家 真作 羽田裕「ローマ
松のある集落」油彩 F6号 額装 裏書き有 2001年 検) 点描画 人気実力派 春陽会 十騎会 国立ローマ中央修復研究所
作家紹介 神戸市在住の風景画家。ヨーロッパ各地を鮮やかな色彩で描く。 年 鳥取県に生まれる 無所属にて、東京・大阪を中心に多数個展を開催 享年71歳 1990年-2018年 無所属にて、東京・大阪を中心に多数個展を開催 享年71歳
1930年-フランスのブルターニュ生まれ。フリエス賞、フォネオン賞などを受賞。 日本でも人気が高く、三越の国際形象展に出品。 (国際形象展は、「われらは、大地に深く根ざし、事物と対決する人間性豊かな形象絵画の創造こそ、 現代美術の課題と信じるものであります。」という宣言のもとに発足され、 60年代から70年代の美術界をリードし、洋画界の復興を成し遂げる。画家としてステイタスであった同展には、ピカソや藤田嗣治などの20世紀を代表する画家に加え、カシニョールやビュッフェなど当時の新進気鋭の作家が参加した。)
湖水風景
イリヤ・レーピン 「妻ベーラの肖像」1876年頃傑作稀少の名品です。 ロシアを代表とする画家とされるレーピンは、ウクライナのハリコフに生まれです。人々の多様な生活と心理を描いた巨匠として知られるイリヤ・レーピンを紹介します。
当美術館所蔵のイリヤ・レーピン作 「妻ベーラの肖像」1876年頃 この画像の他のサイトへの無断掲載禁止します。 ロシア国立美術館所蔵 イリヤ・レーピン作 「 妻ペーラの肖像 」 1876年 この画像の他のサイトへの無断掲載禁止します。 イリヤ・レーピン(1844-1930)は19世紀ロシアを代表する画家。ロシア・リアリズムの巨匠として知られ、現在でも高い人気を誇る。その鋭い眼差しでロシア社会のリアルを浮き彫りにした壮大な傑作《ヴォルガの船曳》や、 本作品、妻ペーラの肖像も、その風貌,性格を描き切った名作になっている。圧倒的描写力である。 レーピンは、晩年、サンクトペテルブルクの真北にあるクォッカラ(フィンランド語版)に自宅「ペナトゥイ」を構えた。1917年のロシア革命とフィンランド独立によって同地がフィンランド領に編入されるが 〇作家―――イリヤー・エフィーモヴィチ・レーピンの作品です。 〇作品題名―――仮称「妻ベーラの肖像・遥か彼方を見つめて」 〇絵―――、縦40.5センチ 横27センチ 〇額(二重額)―――縦53.5センチ 40センチ 〇作品の表の右下と裏に作者のサインがあります。 〇――――、この作品の裏に、この作品の元所蔵家だつた白系ロシア人元陸軍大尉だつたアレキセイさんとその夫人のジナイダーさんのニュース・朝日新聞神戸・1977年発行が張り付けられていました。 ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 「フランス田園の夕景1851年」 (Jean-Baptiste
Camille Corot、1796年7月16日 - 1875年2月22日)は、19世紀のフランスの画家。 19世紀の4分の3を生き、バルビゾン派の七星の一人。次世代の印象派との橋渡しをした画家である。詩情あふれる森や湖の風景画で知られるが、『真珠の女』のような人物画にも傑作がある。1825年から計3度イタリアへ旅行し、イタリア絵画の明るい光と色彩にも影響を受けている。理想化された風景でなく、イタリアやフランス各地のありふれた風景を詩情ゆたかに描き出す手法はのちの印象派の画家たちにも影響を与えた。
佐伯浩「小川(アルル)」油彩 4号 南仏 川 辺の花々 〇ヨーロッパ情景画家
1874年12月23日 - 1959年1月3日)は、鹿児島県出身の洋画家・教育者。東京美術学校校長(1932年-1936年)。文化勲章受章者、文化功労者。父は和田秀豊、弟は和田秀穂。 1900年3月に文部省留学生としてパリに留学。アカデミー・コラロッシではラファエル・コランに木炭画と油絵を、ウジェーヌ・グラッセに装飾美術を学んだ。同年のパリ万国博覧会には旧作『渡頭の夕暮』と『機織』を出品し、前者で選外佳作賞を受け。 1901年10月から1902年3月まで、約半年間パリ郊外のグレ=シュル=ロワンに暮らし、浅井忠と共同生活を行った]。この時期には絵画だけでなく図案・漫画・表紙絵・俳句などの創作も行っており、黒田、岡田三郎助、浅井、竹内栖鳳らとともに同人誌『パンテオン会雑誌』の編集にも携わっている。留学時代には充実した創作活動を行い、アカデミックな洋画描法を習得した。1903年1月から2月にはルーブル美術館に足しげく通い、ジャン=フランソワ・ミレーの『落穂拾い』を模写した。1903年には1か月半かけてフランスとイタリアを巡歴し、1903年7月に日本に帰国すると、東京美術学校教授に就任した。1903年には第5回内国勧業博覧会に「こだま」を出品して2等賞を得ている。
村山 槐多(むらやま かいた、1896年〈明治29年〉9月15日 - 1919年〈大正8年〉2月20日)は、明治・大正時代の日本の洋画家で、詩人、作家でもある。愛知県額田郡岡崎町(現在の岡崎市)生まれ、京都市上京区育ち。母方の従兄に山本鼎(画家)と嶺田丘造(官僚)、はとこに黒柳朝(随筆家)がいる。 槐多は10代からボードレールやランボーの作品を読み耽り、詩作もよくした。しかし、その早熟さ、デカダン(退廃)的な生活、貧しさや失恋による心の痛みなどにより、結核性肺炎を患っていた。また、同じ年に20代前半で夭折した点で、同じ洋画家の関根正二とよく比較されるが、2人の作風は全く異なっている。画家自身のほとばしる情念や不安を反映した槐多の人物像は、器用ではないが一度見たら忘れられない強烈な印象を残すものである。 1919年(大正8年)2月、槐多は当時猛威を振るっていたスペイン風邪に罹って寝込んでしまう。2月19日夜9時頃、槐多はみぞれ混じりの嵐の中を外に飛び出し、日の改まった20日午前2時頃、畑で倒れているのを発見された。槐多は失恋した女性の名などしきりにうわごとを言っていたが、午前2時30分に息を引き取った。まだ22歳の若さであった。 みなぎる生命力を退廃的・破滅的雰囲気を纏わせながら絵画に表した。ガランス(深い茜色、やや沈んだ赤色)を好んで使ったことでも知られる。
フーゴ・フォルクワース 「雪の民家」 額装20号 20世紀前半に活躍した、ドイツ印象派を代表する大家の名品です。 フ―ゴー・フォルクワース
( Hugo Volkwarth 1888年~1946年 ドイツ・アルトナ ) 近代ドイツを代表する印象派です。1905年ハンブルクにて、ドイツ印象派を代表するArthur Siehelistに師事、その後、~ミュンヘン美術院にて学ぶ、(H..J.V.Zugelハインリッヒ・ヨハン・フォン・ズゲル教授に師事)、1911年からハンブルクに定住し、創作活動を続ける。 ドイツ印象派の正当な画風を踏襲する作品は、おおらかで力強く 臨場感豊かである。本作品もモネを彷彿させる光の表現は、素晴らしい。第2次世界大戦終了時、1946年ロシア征服下の中テューリンゲンにて没。
『花を摘む娘達』 ホセ・モンタルバン(jose montalban) 1927年、スペイン・マドリッド生まれ。 スペイン名門美術学校聖フェルナンド王立アカデミーに学ぶ、カンヌで開かれた国際絵画展で第一位に輝いた他、数々の賞を受けている、卓越したデッサン力で描く少女の絵が人気が高く、特に、近年バレリーナをテーマに描き続けている、スペイン国内のみならず、フランス、オーストリア等ヨーロッパ各国のコレクターに蒐集されている
1872年作のサイン署名 (モネ32歳カミーユ25歳ジャン5歳)
クロード・モネ ----「ウエディングドレスのカミーユとジャンの肖像」 1872年作のサイン署名 (モネ32歳カミーユ25歳ジャン5歳) トリミングされているーーー家賃が払えず、追い出されたとき、 木枠カンヴァスを持っていけないので、カンヴァス布地だけ切り取っていったいうエピソードがあるので、本作品も、そのため、切り取られた可能性があり。―――――その後、所有者が、木枠に張り付けたものと推測できる。作品を最大限にぎりぎりに木枠に張り付けてある。 1867年(27歳) カミーユとの間に、ジャンが生まれる。 貧困のため、結婚式を挙げられず。バジールに、 の窮状の手紙出す。 サロン・ド・パリに落選したモネの「庭の女たち」を2500フランで、医学生で、画家志望の友人のバシールが買い取る。 1868年(28歳) 家賃を払えず、家主に追い立てられる。自殺を企てたと述べる。(バシール宛の手紙の中で)、 両親に勘当される。 1869年(29歳) サロン落選、 父から仕送り断たれる 料理の火もたけず。部屋の灯りもなく、ルノアールが、飢えないように、パンを持ってきてくれる。 1870年(30歳) 普仏戦争で、バジール戦死 1871年(31歳) 普仏戦争を避け、モネは単身、結婚したばかりのカミーユと息子ジャンを残して、単身イギリスへ亡命 画商のデュランリエルと出会う 1872年 イギリスから帰国して、結婚式はまだ挙げてなかったため、ウエディングのカミーユの本作品を描く。 この年に、第1回印象派展に出品した「日の出」の描き方とおなじで、少ない絵の具で、揮発性オイルを多用した絵の具の薄いおつゆ描きで描いている。―――――タッチだけで一気に描いたような、1872年作と言われる、「日の出」の作品と、同じ描法で描かれている。本作品の、大胆な色彩と平面的な筆致による顕著な筆触分割が見られるなど、ターナー作品などからの影響が色濃く反映されている。 この作品の来歴は、林忠正が、日本に持ち込んだものと推測している。浮世絵画商であった、林 忠正は、1905年帰国したとき、モネ、シスレーなど、印象派の作品500点を日本に持ち帰っている。その一年後に53歳で他界、自分の死期を悟りその、印象派の作品で、政治家や黒田清輝などに、美術館建設、展示してほしいと働きかけたが、だれもそれに答えなかった。その無理解は、とても残念である。そのため、親族が、ほとんどの作品を、アメリカなどの、コレクターや画商に売り飛ばしたとされている。残念至極である。 林 忠正が買ったとされるモネの作品 べリールの岩のライオンの岩1886年デ・モワンヌ・アート・センター ジべルニーの庭1888年個人藏 サン・シメオン農場の道1864年・泉屋博古館分館 モンソー公園1876年個人藏・・泉屋博古館分館
モネの作品は日本に57点ほどあるという。
現在、第58回平和賞受賞作家 故 久村 進先生彫刻作品 展示設置中です。 |
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本館所蔵古伊万里作品名品の数々 色絵 蛸唐草 十二支の図 瓢箪大花瓶 高さ62.7cm
古伊萬里 金彩色絵 鳳凰丸紋牡丹文大鉢 大明萬暦年製 8寸鉢 直径25cm
古伊万里 染付 花唐草文 中皿 江戸中期 享保 1716年-1736年頃 : :径20.6cm
NO4 色絵鶴首徳利花瓶一対ーー元禄時代 NO5
NO6
六角形 高さ約19cm NO8 四角形 約15cm NO9
NO10
NO11 NO12
NO13 江戸初期 柿右衛門 色絵 花唐草図花瓶 高さ35㎝ NO14 NO15 NO16
NO17 1690年代 江戸中期 地の乳白色の色が、時代を物語る、とても美しい,また、呉須の色が黒く、この時代の特徴で、歯切れがよく、絵柄を引き締める。 NO18 元禄古伊万里金襴手赤絵小皿5枚揃い 1690年代 江戸中期 元禄期の赤絵小皿5枚揃いだが、色の配色が、すばらしく<鮮烈な赤と、鮮やかな緑を配し、
細かい繊維な絵付けがされている。当時の絵師の技術と繊維さに、驚く。 NO19 呉須の色と赤の発色がすばらしく、唐人の図柄も、神秘的な歴史を思わせるようで、とても見ていて、魅力を誘う。 NO20
江戸期 古伊万里 上手物 色絵 二重角福 渦福 松竹梅・獅子図 約26cm 17世紀₋--- NO21 NO22 とても、落ち着いた時代のある図柄で、色である。こんな作品が、ドイツのローストドルフ城や NO23
NO24 NO25 NO26 延宝、元禄年間1670年代~1680年代 九州某展示品歴 NO27 古伊万里 柿右衛門様式 色絵竹牡丹菊虎文大花瓶 飾 壷 高さ80cm NO28 NO29 NO30 NO31 NO32 金彩 古伊万里 有田焼 醍醐窯 皿
25cm 飾り皿 NO33 NO34 NO35 NO36 NO37 No38 No39 NO40 NO41 NO42 NO43 NO44 NO\\\\\
NO46 色絵花文八角皿 NO49 NO50 NO51 NO52 NO53 NO54 柿右衛門花鳥図 NO55 NO56 NO57 NO58
NO59 NO61 十七世紀名品 酒井田柿右衛門作 色絵花鳥文植木鉢
特大24cm 植木鉢盆栽盆景 NO62 NO63 NO64 江戸中期元禄時代金襴手作品ーーー高さ61c桐箱付 NO66 NO67 NO69 No73 NO75 No77 NO78
色絵赤玉雲龍紋兜鉢・画像1 1690年頃
色絵赤玉雲龍紋兜鉢 ・画像3・4 「大明萬歴年製」銘 17世紀末―――1690年頃 古来、古伊万里型物と呼ばれている鉢の中でも、代表的な作品の一つ、口縁部を鍔状に開く兜鉢の器形。見込みに龍紋を染付、赤、青、金色で表し,内側面には菊菱紋を地文として三段六方に丸文を配している。中断の丸文には、萌黄地に金と赤とで団龍文と宝珠文を交互゛に描いている。外側面は赤地とし、白抜きと萌黄による唐草文を巡らし,四方に白抜きの窓を設けて唐草文と鳳凰文を交互に描く。高台内には二重圏線内に、「大明萬暦年製」銘を整然とした楷書で記す。中国・萬歴年間(1573-1620)に制作された金襴手を範としながらも独自の様式を展開してゆく古伊万里・金襴手の絢爛たる作風を体現した名品である。
NO81
色絵赤玉雲龍紋兜鉢 NO82
NO85 NO86 NO87 |
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